どうぶつ基金の考える動物愛護

「どうぶつ基金の考える動物愛護」

人目を必ず引くのは、子どもか動物。
だから、あの手この手でそれ以外を一生懸命考えないと、テレビCMは
全部子どもか動物になっちゃうからね。

広告業界に入ったときに、最初にそう教わりました。
それほど、動物はかわいい、つい見ちゃう人が多い、この社会。

でも、というべきか、だから、というべきか。必要になった法律があります。
動物愛護法です。

「生きものは、かわいいから、みんなでもっとかわいがろう」と呼びかける
ユルい法律なのかな、と思ってしまうような名前ですが、ちょっと違います。
いままで当たり前のようにやっていた所謂「悪しき習慣」を、それはダメ
だから止めようよ、という内容もしっかり含んだ、結構世の中やみんなの
常識や概念を変えるような、進んだ法律なのです。

人間が飼っている動物は可愛がらなければならない。いじめてはならない。
殺したり、傷つけたり、わざと不快な思いをさせたり、苦痛を与えてはならない。
残酷なことをしてはならない。人間にとって人権侵害は犯罪だけど、
動物相手でも、幸せに生きる権利をなるべく侵害しないように考えよう。


動物もひとも、同じ生きもの。痛い、悲しい、という感情は共にある
のだから、自由としあわせを同じように尊重しよう。

自分たち人間の福祉(しあわせ)を考えるように、動物の福祉も考えよう。

ペットの犬や猫だけではなくて、飼っている動物全般に、この考えを拡張しよう。

豚や牛、馬、羊。ペットではなく家畜でも、食用でも、愛玩以外の目的でも、
人間が飼っている動物という意味では同じだから、生きているあいだは
幸せであるように、動物愛護法の対象に含めよう。


一般的にはかわいくないと思われがちな(sorry!)、感情があるかどうか
わかりにくい、愛玩動物というには抵抗を感じる人が多い、ヘビやカエルや
イモリやヤモリなどの両生類だって、人間に飼われていれば、幸せに生きる
権利があると考えよう。動物愛護法で保護される対象に含めよう。

昔の人間の「人間の存在が上で、動物は下」という考えを少し改めようよ。
おんなじいのちだから、共存のあり方を考えようよ。
たとえそれが概念の転換だとしても。

それに。動物は人間の下、だから自分の利益のためには傷つけても、命を
採っても、残酷な目にあっても仕方ない、と考える人間は、そのうち、人間にも
動物に近いグループがいて、それは自分よりも下、だから傷つけても、命を
採っても、残酷な目にあわせても仕方ない、と考えるようになるのではないかしら。
それは、社会全体のためにならない、とても危険なことだと思います。

そうそう。どっちが上か、という勢力争いや権力争いは、人間社会でも、
トラブルのもと。自分に都合の良い上下関係を「秩序」と言い換える人を
よく見かけますが、人間が定めた上下関係なんて、自然の摂理の前では、
脆く儚いもの。上下関係ではなく、そこから抜けて、個々に、自然のなかの
ひとつのいのちとして互いに配慮、気配り、尊重する、それが私たちが
いま生きている「環境の世紀」なのではないでしょうか。
(そうそう、動物愛護の担当部署は環境省です。)

地球という限られた領域の上にしがみついている、いのちの運命共同体。
しかもその時点でかなり奇跡的、なのが、私たち生きもの。
この星に長く住んでいられるために、自分の命が尽きても子孫やほかの
生きものは生き長らえるように、知恵を絞る、考える、祈る。
いのちとしては対等だよね、と考えて、生きよう。これはもう、思想であり、
人生の指針であり、修行であり、冒険です。

犬猫がかわいいから、かわいがる。と、いうファンシーなところから
スタートしつつ、勇気も正義も駆使しなければ進んでいけない、
なかなかハードボイルドな道じゃありませんか。
動物愛護って。

「かわいい!」だけじゃ、ないんだよね。世界の情勢にも耳を澄ませ、
情報を集め、考え、言わなければいけないときはちょっと待った!といい、
私はこうした方がいいと思う、とどんどん提案していく。誰が作ったのか
わからない縛りに囚われることなく、自由に大胆に、本質的に、良いことを
まっすぐ素直に実現していく。

私はそれが、どうぶつ基金の考える動物愛護の精神だと思うのです。

(聞き取り・文責 マエキタミヤコ)

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